海が逝ってしまって今日で5日目。
表面的には、普通の生活を営んでいる。
海が逝った日、その亡骸を撫でながら、心の弱い私は、何か今の間に、
海の体の一部分を手元に残せないものかと考えていた。
たとえばヒゲとか爪の先とか毛とか、そういうものを。
でもそう思う反面、そんなものを後生大事にとっておくというのも、
あんまり素敵じゃないなぁ、とも思った。
海の亡骸は、目を半分ぐらい開けたままだった。
その色を見つめながら、そうだ、この瞳と同じ色の石がついた
ペンダントか指輪を買って身につけることにしよう、と決めた。
海の瞳の色は、黄色に近い黄緑だった。
一番近いのはペリドット。
そうして、昨日からいろんなアクセサリーのお店を覗いているのだけど、
これというのに出会わない。
今日も、仕事で京都に出掛けた折、阪急・高島屋・大丸のアクセサリー売り場を覗いた。
百貨店では、ショーケースを覗き込めば、ほぼ100%販売員に声をかけられる。
3つぐらいのブランドを覗いて、ペリドットのペンダントと指輪を見せてもらうが、
全然ピンとくるものがない。
そんな中、あまり聞いたことのないブランドだったが、ちょっとアンティーク調で
素敵なところがあったので、ペリドットはないものかとショーケースを覗き込んでいたら、
今度も販売員に声をかけられた。
さっきまでと同じく、ペリドットのペンダントか指輪を探しているのです、と告げると、
彼女は、ショーケースの中から2つぐらい出してきて見せてくれた。
ひとつは、見た目は可愛かったのだが、チェーンも石もあまりに華奢なデザインで、
ごつい私にちっとも似合わなかった。
でも、彼女の対応がとても感じが良かったので、私はなんとなくすぐに立ち去りがたく、
ショーケースの中のものをあれこれ見ていた。
「石は、ペリドットでお探しなんですものね」と彼女が確認するように尋ねた時、
なぜか私は、「実は・・・」と話し始めてしまった。
「実は、つい最近長く飼っていた猫が死んでしまって、
その猫の瞳と同じ色の石を探しているんです。
その色が黄緑色で、ペリドットに近いかなと思っただけで、
色さえ似ていたら、他の石でもいいんですけど」
私がそう言うと、彼女は「ああ、それは・・・」と一瞬顔を曇らせた後、
「でもペリドットと同じ色なんて、すごく綺麗な目の猫ちゃんだったのですね」
と言って微笑んでくれた。
海が褒められたようで、一瞬、鼻の奥がツンとなった。
不覚にも、ちょっと泣きたくなった。
「そうですか。そういうご事情でしたか。お守りのような気持ちでお探しなのですね」
彼女は重ねてそう言った。
それを聞いて、「そうだ、お守りだったんだ・・・」と改めて気づいた。
自分のその想いをうまく表現できなかったのだけど、
はからずも彼女が教えてくれた。
そう。私は、お守りが欲しかったのだ。
海がずっとそばにいて、見守ってくれている、と思いたかったのだ。
その後、他にも緑色の石のついたものをいくつか見せてもらったのだけど、
結局これというものがなくて、そこでは買えなかった。
でも彼女は全然残念そうではなく、
「ペリドットは8月の誕生石なんです。だからどこのブランドもこれからきっと
いろいろ店頭に並べ始めると思います。
だからゆっくり探されるといいですよ。どうぞいいものが見つかりますように」
と言って、私を見送ってくれた。
なんて素敵な人だろう! と感動した。
その人から買えなかったことが、とても残念だった。
なんだか心の中が温かくなり、幸せな気分だった。
そして自分も販売の仕事に戻ったら、きっとその人のような接客をしよう、
と心に誓った。
「人の役に立つ」というのは、何も寄付したりボランティア活動をしたり、ということだけではない。
ほんの短い関わりあいの中で、知らない誰かをこんな風に幸せな気持ちにさせるのも、
立派に「人の役に立つこと」なのだ。
神様は、いつも誰かの姿を借りて私たちに言葉をかけてくれる、と言う。
神様は、あの販売員さんの姿を借りて、私を慰めてくれたのかな。
私は無宗教だけれど、そういう美しいことは信じたいと思う。
海を火葬してもらったところから封筒が届いていて、なんだろう? と思ったら、
「火葬証明書」とかいうやつで、海の亡骸と焼いた後の骨を元の形に並べたものが、
まるでダイエットのビフォーアフターの写真みたいな感じで並んでた。
もう悲しくはない。
ものすごく冷静に、まるで博物館の恐竜の骨の模型みたいに並べられた
海の骨を見て、おお! しっぽの先は曲がらずに真っ直ぐになっているぞ!
などと思ったりした。
作業をしてくれた人の名前や、焼いた焼却炉の写真などもあり、
ネガティブな心で、「どうせ分からんと思って、他のペットと一緒に焼いて、
適当に骨壷に入れたのじゃなかろうね?」などと、実は考えないでもなかったのだけど、
「うむ、なかなかちゃんとしておる」と、その証明書を見て思った。
海が逝く前後数日間は、頭では悪いと思いつつも、他の2匹は放ったらかしだった。
それどころではなかったのだ。
ところが、もう海が逝ってしまうと、今度は海と1歳しか違わず、これもまた痩せてきているが、
極度に病院嫌いのミチコのことがとても気にかかる。
結局、私という人間はどこまでも現実的で、薄情なものだな、と思う。
久々に出勤して、仲の良い同僚に海のことを話したら、彼女は今まで何度も
自分の猫(実家のだけど)を見送った、という話をしてくれた。
あんな辛いことを何度も経験してきた、というだけで彼女をまた尊敬した。
それでなくても、彼女はすでに両親さえ見送っている。
私みたいな甘ちゃんとは、心の強さが違うのだ。
海の四十九日は8月30日らしい。
その頃には、今より更に平常心になっているだろう。
その存在を忘れるわけはないけれど、もう泣かないようにはなっていたい。
小さな黒猫を拾ったのは、去年の夏のことだった。
拾った、というよりは、半ば押し付けられたのだけど。
職場の近くで数日前まで親子4匹でいたのに、ある朝、こいつだけが
置き去りにされていた。
両目は目やにでふさがり、ぐったりしていた。
なんだかんだあって、結局うちで引き取ることになった。
でも顔は可愛くないし、うちには老猫が2匹いるし、
楽しいというよりは、ちょっと気が重かった。
ところが、ほとんど1年経った今では、もう可愛くてしょうがない。
顔も相変わらずへんてこりんだが、子猫の時よりむしろ可愛くなったと
思うのは、親ばかだろうか。
人見知りで、でも家族(私や他の猫)には偉そうで、暴れん坊の甘えん坊。
振る舞いがいちいち面白い。
子猫はみんなこんな風だったのかもしれないけど、
もう海にせよミチコにせよ、そんなの遠い昔のことで忘れていた。
海がまだ生きていた頃、痩せて一日中寝ているその姿と、
コジの、ひたすら走り回って、何にでも好奇心を見せて、
バカみたいに高いところに上っては落ちてきたり、
甘えてるつもりで後ろからいきなり背中に飛びついてきたりして、
一日に何度も「こらぁっ!」と叱られてる姿は、
ものすごく対照的だった。
海が、まさに人生の晩秋、という風情なのに対し、
コジは、まさにこれから夏! みたいな明るさに満ちていた。
最初こそ、老猫2匹の穏やかな老後に、こういう騒がしい珍客が
やってきて、ホントすまん、と思っていたのだけど、
今では、そういうのがやって来て良かったと思っている。
もし、海が先に逝って私を残すのが気がかりだと思うとしても、
こういう手のかかるバカが一緒だと、多少はマシだと考えてくれるだろうし。
そして実際、こいつがいるのといないのとでは、海がいない状態での
私の暮らしぶりは全然違っていたと思う。
あまりに1匹の猫を溺愛すると、その猫を失った時、
もう他の猫を飼いたくない、という人がいる。
まるで亡くなった猫に操をたてるみたいなつもりで、
もう猫は飼わない、という人もいる。
人それぞれ考え方は違うのだろうけど、私は全くそういう考えではない。
私は出会いさえあれば、この先もきっと何度でも猫を引き取るだろう。
まさかお金を払って手に入れることはないだろうけど、
何かの縁で出会ってしまったら、知らん顔は出来ないから。
たとえば、今私は、このおバカなコジの行動を見ながら、
「ああ、そういえば海も小さい頃は、紙やアルミホイルを丸めたので
遊ぶのが好きだったなぁ」とか、「棒の先に小さなおもちゃがついたので遊ぶと、
ものすごい速さでパンチを繰り出していたな」とか、
ずっと忘れていたことを思い出したりする。
そしてそういうことが、今は悲しくない。
「ああ、そうだった」とただ純粋に懐かしく、微笑ましく思う。
多分、この先もまたこんな風にコジの中に海の思い出を見ることがあるだろう。
一般的には、人間よりも猫のほうが寿命が短いのだから、
やっぱりいつかはこっちが見送らなければいけない。
見送られるとしたら、それはそれでかなり気がかりなことなので、
いくら悲しくても見送る方がまだマシだ。
別れは、どんなものでも悲しいけど、でも何にもない空っぽの人生より、
たくさんの出会いと、悲喜こもごものある人生を私は選びたい。
この先もまだ愛するものを見送るとしても、それがどんなに悲しいとしても、
その思い出や面影は、私の中でどんどん重なり合っていく。
そして私の人生を味わい深いものにしてくれる。
しかも、そういうものたちが全部、私の最期の時にはみんなで迎えに来てくれると
思ったら、死ぬのもほんの少し怖くなくなりそうに思う。
だからこれからも、悲しい別れがいつか来ることも覚悟したうえで、
愛すべきものを精一杯愛する毎日を送ろうと思うのだ。
海が亡くなる前後の辛さを100とすると、今日は多分70ぐらいで随分マシ。
実家に居た時も、それほど行き来のなかった祖父母の仏壇は完全無視だったのに、
昨日からずっと、海の写真と骨壷の前に線香をあげ続け、朝一番に花の水をかえている。
そして早くも、神頼みならぬ猫頼みばかりしている。
ミチコとコジが、元気で長生きするように見ていてやってね。
痛い思いや、苦しい思いをしないようにしてやってね。
特にミチコは病院も薬も大嫌いだからお願いね。
私に素敵な恋人をみつくろってね。
と、いう風に。
最後のなんか、絶対きいてくれないと思うけど。
悲しみの乗り越え方というのは、千差万別なんだろうけど、
まずは私はやはり書いていた。
ここもそうだし、mixiもそうだし、それ以外にもいろいろ。
普段から全然人に泣き言が言えない分、文章にして吐き出すのだ。
もちろん、泣きつけば話を聞いてくれるだろう友人はたくさんいる。
友人には恵まれていると思う。
でもまあ、もうこれは性分なので、精神的に辛ければ辛いほど、
誰にも何も言えない。言いたくない。
別に誰の参考にもならないだろうけど、自分の覚書として、
ここ数日の間、私が無意識に、また意識的にチョイスして
見聞きしてきたものを並べておこうと思う。
- THE VERY BEST OF ごっつええ感じ 2
- ¥8,897
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2と3を借りて、まだ2は観てない。多分今日あたり観ると思う。
なぜか「ゴレンジャイ」がすごく観たくて。
海が弱り始めた頃、ものすごく動揺して泣き暮らしそうだったので、
こういう時こそ笑わないと、と思い借りてきた。
まだ、海がそれほど早く逝くと思っていなかったし、
しっかりしなきゃ、という気持ちだった。
- 憂愁のノクターン(K2HD)/フジ子・ヘミング
- ¥2,880
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海が弱る前から、フジ子さんは大好きだったけど、
どちらかというとそのピアノよりも絵だったり本人に興味があって、
CDをちゃんと聴いたことがなかった。
海がこうなるのを予測していたみたいに、その少し前に購入。
全然楽しくなれるような曲はなく、どれも美しく哀しい。
海が逝く前後は、ものすごくよく聴いた。
少しでも、海が心穏やかになればいいという気持ちで。
そして、なんだか天使とか神様とかそういうのが降りてきそうな、
優しく海を迎えに来てくれそうな気がしたから。
- パリ・下北沢猫物語/フジ子 ヘミング
- ¥1,680
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これも買ったのは、海が弱る直前。
20(下北沢)+5(パリ)匹も猫を飼ってるフジ子さんでも、
やっぱり猫が死んでしまうのは酷く辛い、というのを読んで、
たくさんいるから悲しみも薄い、なんて単純なものじゃないのだ、
と当たり前のことに今更気づいた。
そしてフジ子さんほどではないけど、私の人生にも本当に猫は不可欠だ、
と改めて再確認した。
この本には、猫たちとの生活についてのエッセイだけでなく、
「天国の猫たちへのレクイエム」という最終章があり、
今まで見送った猫たちとの思い出が語られている。
その最後の文章に、私はとても励まされたので、
少々長いけれど、記しておく。
私は次の世界を信じてる。この世が終わったら限りない宇宙が
広がる天国があるの。そこに行くと、今までに死んだ猫たちが
迎えにきてくれているわ。みんなとそこで会えるのよ。
そこへ行けば私はきっと幸せよ。楽しくてずっと終わりのない世界で、
今と同じようにみんなに囲まれてピアノを弾いて暮らすわ。
- 女いっぴき猫ふたり/伊藤 理佐
- ¥680
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けっこう好きな漫画家さん。
一軒家でひとりで二匹の猫を飼っている。
絵に好き嫌いはあるかもしれないけど、私は大好き。
特に、クロの方が、片目の上がちょっと白くなってるあたり
うちのコジに似ていて親近感がある。
ちょっと自虐的な暮らしぶりも、なんだかホッとする感じで好き。
- ちびとぼく 2 (2)/私屋 カヲル
- ¥620
- Amazon.co.jp
ついこの間、とうとう連載も終了してしまい悲しい。
全10巻。
このシリーズは、私のお気に入りネコマンガのベスト3に入る。
あとのふたつは、やっぱり「ホワッツ マイケル」と「綿の国星」。
次点に猫村さん。
- thank you/MONKEY MAJIK
- ¥1,949
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普段はほとんど女性ボーカルしか聴かない私にしては
珍しくかなりのお気に入り。
こうしている今も流してます。
Around The World はもちろん大好きだけど、
アルバムとしてもすごく好き。
洋楽7割/邦楽3割みたいなテイストが、ちょうど心地いいのかも。
- メゾン ド ヒミコ (通常版)
- ¥4,441
海が亡くなる直前、ほんの1時間ぐらい前に観終わった作品。
ベッドに寝転んで、隣に海が寝ていた。
そういう意味でも思い出深い。
でもそんなことは抜きにしても、とてもいい映画だった。
私は実は内容を知らなかったのだけど、映画の中にも
病気で弱っていき死んでしまう、というのが描かれていた。
それがとても淡々として、過剰にセンチメンタルでなかったのは、
なんだかとても良かった。
とにかく、オダギリ・ジョーの美しいゲイの青年、というのが
ハマっていて、それほどオダジョー派じゃない私でも、
ちょっと欲情しそうになり、ヤオイな女子の気持ちが分かった。
ただし、リアルなゲイの友人を見渡しても、
オダジョーみたいなのは、お目にかかったことがない。
時々、柴崎コウが中谷美紀に見えて、この役どっちでもいいかも、
と思ったのは自分でも面白かった。
いや、コウちゃん可愛かったけど。
- 天才柳沢教授の生活 25 (25)/山下 和美
- ¥540
- Amazon.co.jp
ものすごい好きなマンガ。
でも帯にもあるけど「3年半ぶり」はないだろう! と思う。
すごく待ったよ・・・
登場人物が、なんだかんだいって皆良い人なのもホッとする。
なんとなく私の理想の家族。
おかあさんが可愛いのが好き。
あ、ここにも猫は登場します。
ちょっと違うけど、サザエさんがいつまでたっても視聴率いいのが、
最近分かる気がする。
現実の世界は世知辛く残酷だから、みんなもう本当は刺激的なことなんて
見たくはなくて、延々と続いていくささやかで穏やかな生活に、
ホッと落ち着くのだと思う。
これもそんな感じ。
サザエさんよりずっと、メッセージ色はあるけど。
・・・というわけで並べてみたけど、結構「猫度」高いなぁ。
海が弱っている間は、家から出られなかったし、
別にしてやれることもなく、ただそばにいたので、
結構いろいろ見たり聴いたりした。
ここに並べてないもので、ちらちら見たものもたくさんある。
なんとなく、今にして思えば、あれはあれでいい時間だった。
多分、泣きながらいろんなことを海に語りかけてた時より、
隣で私が本でも読んでる方が、海にしてみても気が楽だっただろう。
生き物はみんないつか死ぬのだから、
それは多分、残されるものにとって寂しくて悲しいことだけど、
本人(猫)にとっては不幸なことではない。
毎日、食べて眠るのと同じぐらい、きっと自然なこと。
そして本人(猫)が不幸でないなら、それでいいや、と
少し思えるようになってきた。
これから先は、まさに「日にち薬」しかないだろう。
でもそれでいい。
すぐに「全然悲しくない」という風になれるような、そんな関わり方ではなかったのだし。
そして、こんな関わり方が出来て良かったと思ってるのだし。
「海、カッコ良く逝く」というテーマで、今回のことをまとめてみました。
多分、まだあと少し、このテーマで書くことがあると思います。
いつもこのつたないブログを読んでくださる方には、毎日毎日猫の話、
それも辛気臭い泣き言で本当にすみません。
私は、いつも文章を書くことで気持ちの整理をするので、
どうしてもこうなってしまいます。
でも、ここに書くことで、たったひとり日記に記すのと違って、
何か言葉をくださる方もいて、それが大きな救いになっています。
特に、過去に同じ経験をされた方の言葉は胸に沁み、
自分だけがこんな思いを味わっているのではない、と強くなろうとすることが出来ます。
なので、いつかまた私と同じような経験をした人が、これを読んで、
同じようにこんな風に、見苦しく未練がましくもがいていたやつがいると、
そしてどうしたって悲しむのは仕方ないと、思ってもらえたら、
と思ってまとめることにしました。
大体、私自身もあと2匹猫がいる以上、いつかまたこんな経験をするのだし。
その時には、今のこの一連の日記を読んで、成長してない! と思うか、
少しは大人になったよ、と思うのか。
それは分かりませんが。
☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆
それにしても、人間が死んだ時の一連の流れというものは、なかなか理に適っている
というか、うまいことなってるなぁ、と思う。
お通夜とか火葬とか区切りの儀式とか。
いろいろ心の整理をつける段取りでも、多分あるのだろう。
人間と同じに論じるのは乱暴かもしれないけど、たとえば昨日一日海の亡骸と過ごして、
私はなんだか気が済んだ。
海の体は冷たく硬直して、エアコンがきいた部屋でも少し嫌な臭いを放つようになった。
もちろんだからといって「気持ち悪い」なんてちっとも思わないけれど、
それでも亡骸を見て「もう、ここに海はいない」と、死を受け入れる気持ちにはなれる。
そして一晩中一緒にいて、独り言のようにああだこうだと思い出話をしたり、
写真の整理をしたりしているうちに、最初は何を思い出しても悲しいのが、
段々ちょっと楽しい気分で思い出せたり、時々はプッと思い出し笑いまで出来たりする。
海がまだ病気にもならず若くて、晩年よりはやんちゃでわがままでふっくらしていた時の
写真を何枚も取り出して並べて見ていると、最期の極限まで痩せていた姿はふと消えて、
もう今では海はまたあんな風にふっくらとした姿で、元気に高いところへジャンプしたり、
あの世というところで楽しくしてるんじゃないだろうか、と思えるようになる。
そうこうしているうちに、海だって最後の弱った姿ばかり思い出されるのは不本意かも、
なんて風に思えるようになる。
私だって、もしもこのさき年老いて衰弱して死んでいっても、昔からの知り合いに
最期の姿ばっかり思い出されるのは不本意だ。
不本意というより、「若い頃の可愛かった(自称)私の姿を思い出しなさいよ!」
という気持ちになるだろう。
なんて風に思えるようになるために、亡骸と一晩一緒に過ごすという
お通夜みたいなシステムはなかなか有意義だと思う。
(もちろん、そうじゃない宗教的な意味合いなど、本当はいろいろあるのだろうけど。)
当初、海はそのまま実家の庭に埋めるつもりだったのだが、
実家にはなんと21歳にもなる老犬がいて、これもまたもういい加減危ないらしく、
そして私にもまだあと2匹猫がいるので、こうなったら庭にきちんとペットのための
お墓らしきものを作ろう、ということになった。
上に碑のようなものを建てて、お骨を納められるようなものを。
それで急遽、海を火葬することにした。
両親は、泣き暮れている私に代わって、タウンページでいろいろ調べてくれ、
ものすごい遠い山の中の動物霊園にあたりをつけてくれていた。
火葬にするという話は、両親が私の家に到着してから聞いたのだが、
その場所というのが本当に遠いし、この台風が近づいている時に
そんなところまではるばる行って、しかもお骨をそこで待たなければならない、
なんていうので、私はいきなりしゃきっとして、自分でささっとネットで調べ、
親が問い合わせていたところをキャンセルして、家の近所で手配を済ませた。
もちろん親の好意には感謝して、せっかくいろいろしてくれたのにごめんと謝った。
けど、親にしてみても、台風が近づいているのに遠くまで行くのは不安だったらしく、
ちょっとホッとしたようだったので良かった。
いやしかし、こういうときはホント、ネットって便利よね。
老猫が家に2匹もいるので、会社帰りの道で見かける動物慰霊センターみたいな
看板はずっと気にかかっていたのだけど、今回はそこに問い合わせた。
母が問い合わせていた遠くの霊園は、多分行くのに2時間近くかかり、
そこでまた何時間か待ち、おまけに火葬だけの金額は15,000円と少し安いが、
骨壷は別売りとのこと。
私が手配したところは、家から車で5分。
お昼に手続きをして、夕方にはきちんと骨壷に入れて、家まで届けてくれる。
もちろん個別火葬だ。
それで17,000円。
そりゃこっちでしょ!
母は、一時期1年ぐらい海と一緒に暮らしたし、人懐っこい海のことを気に入っていた。
だから、家に到着して、フリースを敷いた籠の中で半分目を開けて横たわっている海を
見たら、「うーくん、よく長いことおねえちゃん(私)と一緒にいてくれたねぇ」と言って、
泣きながら体をさすり始めた。
私も貰い泣きでまた泣いてしまった。
ところが、実際海の亡骸をセンターに届けて、「どうぞゆっくりお別れしてくださいね」
と言われても、もう私は泣きもせず結構淡々と「昨日一晩ゆっくり一緒にいたので大丈夫です」
なんて言って、軽く頭を撫で、大好きだったしっぽの先の鍵型に曲がったところを
キュッと握って「今までありがとう」とあっさりお別れした。
母の方が、籠の中に顔を突っ込むような勢いで泣きながら別れの言葉をかけたりして、
自分以外に悲しんでいる人がいると、案外しゃきっとしてしまうものだなぁと思った。
ものすごい怖がりと一緒にお化け屋敷に行くと、あんまり怖いと思わないのと
同じ心理だろうか? などと考えたりしていた。
実のところ、私はペットに人間と同じような送り方(葬儀とか火葬とかお墓とか)をする、
というのは違和感があって、気持ちの上では家族同然だけど、
だからって人間がする儀式は猫には不要だろう、と思っていた。
今も思っている。
でも、単純に、物理的問題として、葬儀はともかく火葬にはした方がいいな、
と今は思っている。
なぜかというと、まず家の場合は実家が田舎で庭が広いのでいいのだが、
大人の猫を埋葬するにはそれなりのスペースがいる。
そして季節によっては、臭いの問題なども考慮しないといけない。
それに、骨になればまた少しの間(望めばずっと)、海の欠片を
身近に置いておくことが出来る。
私はしばらくしたら(実家のペット墓が出来たら)、手放すつもりだけど。
というような理由からも、火葬、まではしてもいいのでは、と今回考えを改めた。
そして今、海の骨が家に届くのを待っている。
人間みたいな儀式に違和感があるとかいいながら、ちょこっと花を買ってきたり、
線香を買ってきたりして、海の写真を立てかけた場所は、すでにミニ仏壇みたいになっている。
実際、骨になったのを見たらまた泣くだろうけども、今はわりとスッキリしている。
海の亡骸を手放して、元気だった若い頃の海の写真をたくさん眺めていたら、
なんだか気持ちが明るくなってきた。
海は、19年間をずっと病気で痩せてひっそりと生きたわけではないのだ。
やんちゃな子供時代や、それなりにふっくらしていた青年期もあり、
そりゃあ楽しいこともたくさんあったのだ。
亡くした直後は、もう痩せてガリガリでご飯も食べないところとか、
病院で点滴されてるところとか、死の直前の痛々しい姿ばかり頭にあって、
不憫で不憫でしょうがないような気持ちになるのだけど、
実のところ、そういうのは19年のうちのほんの数日のことだ。
病気になってからでも、元気な間は決して不憫ではなかった。
海の亡骸を手放して、狭い部屋の中から「死」の気配が去ると、
写真や思い出の中から明るいものだけたくさん取り出して、
「楽しかったよね!」と、心から思えるようになってくる。
海の逝き方は完璧だった。
計算するみたいに、サインを見せて、準備期間をくれて、私が休んでいる間に逝き、
ひたすら泣くことに集中できる時間もきちんと与えてくれた。
おまけに、最期はほとんど苦しまずさっと旅立っていった。
私は一応動物病院にも連れて行った上で、それはもう必要ないと判断できた。
もしも一度も行かずに死なせていたら、今頃、もし病院に連れて行ってたら・・・
と自分を責めていただろう。
でも、連れて行ったからこそ、延命みたいなのは必要ないと思えた。
そして、事前にサインを出してくれたから、私は社員旅行をけって家にいることを選べた。
何も知らずにいたら、のんきに旅行に出掛けて死に目にも会えず、
とんでもなく自分を責めただろう。
まあいろんなことが完璧だった。
なんだったら、海がしばらく病院に通うかもしれないと思って用意していたお金で、
火葬代も賄えた。
ホント、何から何まで完璧だ。
すごい、カッコ良すぎるぞ、海!
今、PCの前には、99/12/12「こたつの中は極楽」というコメントが余白に入った
海の写真が貼ってある。
海は、写真の中で、裏向いて両手を伸ばして気持ち良さそうな顔でカメラの方を見ている。
そういう姿ばっかり、これから思い出していこうと思う。
おかげさまで、どうも、少し気持ちが一段落できつつあるようです。





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